4日目 1963年上半期
1963年1月 価値1位↑ 乗客1位→ 貨物2位→
社員から給料に対する不満が出ました。
最低賃金でやってもらってましたからね、ここまで。そりゃ文句も言いたくなるわな(笑
申し訳ない、ブラックなエアラインで。1段階昇給だぞ、みんなー!よかったね。
貨物便は、地中海周りで2便開設。
モスクワーバルセロナ
カイローマドリード
燃料タンクの3個めを設置しました。機材数が増えてきましたからね。
寝ていた間に、イスタンブルーミュンヘン線とクウェートーパリ線が競合してました。
こっちが夜のときヨーロッパは日中ですから、会社名的にヨーロッパ系と思われるユーザーに競合されてました。とりあえず、運賃の値下げで対応します。
1963年2月 価値1位→ 乗客1位→ 貨物2位→
アジアを中心に貨物便を5路線開設です。
北京ー大阪
クアラルンプールー重慶
バンコクー大阪
競合していたイスタンブルーミュンヘン線は運賃値下げにも関わらず搭乗率がいまいち回復しなかったので、閉鎖。浮いたTU-104で北京ー重慶線(近距離なのでスロット食うけど)を開設。バリバリの中国国内線。
中国国内線と言えば、10年ほど前に仕事で北京から長春に向かう中国の国内線に乗ったことがありますが、文化の違いにびっくりしたものです。
搭乗から着陸まで、ずーっとみんな喋ってるんです。かなりの声量で(笑)。中国の国内線に乗ったのはこのときが初めてだったので、ずいぶんと驚きました。日本だと基本みんな黙ってますからね。
まあでもこれは文化の違いですね、どっちがいいとか悪いとかではないなと最近思います。早く前みたいに飛行機乗って海外に行けるようになって欲しいです、ホント。
で、資金に余裕が出てきたこともあって、ちょっとずつリース機材を返却していこうかなとか考えてます。毎月のリース代が結構バカにならないんですよね(今2万$くらい)。とりあえず検討するということで。
あとは、機材の更新です。老朽化に伴うものではなく、機材のグレードアップです。イスタンブルからパリとローマに飛んでいたTU-104を座席数も多く満足度も高く、飛行速度もめちゃ速いB707-120に機種変です。TU-104ではもったいない超ドル箱路線から順次切り替えていきます。
で、空いたTU-104で新規開設2路線。
1963年3月 価値1位→ 乗客1位→ 貨物2位→
今月も旅客便に投資します。
まずはB707-120で新規開設1路線。
クウェートーモスクワ
でもって、TU-104からB707-120にグレードアップ2路線。
イスタンブルーフランクフルト
空いたTU-104で新規開設2路線。
重慶ー釜山
台北ー釜山
機材のグレードアップによる乗客者数の増加が目に見える形で出てきています。
1963年4月 価値2位↓ 乗客1位→ 貨物2位→
純利益が20万$を超えました。順調に伸びています。
でもお金ってあると余計なもの(?)を買っちゃいますねえ。クウェートに旅行会社を買いました。お小遣いを稼ごうと思います。
今月のニュースと言えば、そう、ムンバイの空港建設が始まってましたね。開港したらここもソッコーで狙います(11,12月には開港しないで(笑))
貨物便をちょっと放置していたので、今月は東京発中国行きの路線を2つ開設。
ついに成田空港に路線を持ちます。
東京(成田)ー重慶
東京(成田)ー深セン
北京や上海、香港あたりは当然他社さんに押さえられてますので、このあたりの中都市で。まあ東京便なので十分利益を上げるでしょう。
で、旅客便はといえば・・・ついにアフリカ縦断航路の開拓をスタートします!
一気にヨハネスブルクとの間に4路線です。
DC-8-62の販売開始(1965.2)を待ってもよかったんですが、待てませんでした。
ヨハネスブルクーカイロ
DC-8-11は全部リースなので、DC-8-62が販売開始になったら切り替えようと思います。
1963年5月 価値2位→ 乗客1位→ 貨物2位→
今の時期にしては潤沢な資金を使って、貨物便をなんと一気に7路線も開設しました。
シャーロットーシアトル
デトロイトーシアトル
アトランターフェニックス
サンフランシスコーフィラデルフィア
シカゴーサンディエゴ
デトロイトーフェニックス
アトランターシアトル
1963年6月 価値2位→ 乗客1位→ 貨物2位→
シアトル発の貨物便を2路線開設しました。
北米大陸が、横だけでなく縦にもにぎやかになってきました。
シアトルーダラス
シアトルーヒューストン